貧困は努力不足か?そんなわけあるか。

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「自己責任」の幻想──社会はそんなに単純じゃない

> 「貧困は甘え」「自己責任でしょ」「努力が足りない」
> そう言って切り捨てた先に、社会は何を得た?


財政学の基本に立ち返ってみよう。『基礎から学ぶ財政学1』を開けば、第2章で示された政府の三大機能のうちの一つが「所得再分配」だ。これはつまり、自助努力だけでは解決できない不平等を是正するのが政府の役割ということだ。

特に第6章「所得再分配と貧困」、第10章「所得再分配の根拠」は必読だ。
そこでは、以下のような原因が繰り返し強調されている:

努力だけで乗り越えろ?それ、絵空事だ。冷静に考えろ。
生まれたときから貧困家庭で、満足な教育も受けられず、医療も手薄、育った地域に仕事がない。
この状態で「自己責任」とは、もはや暴力に等しい


自己責任論がはらむ危険性

「自分は努力して成功した」
——それは君が幸運だったというだけの話だ。社会制度に守られ、教育資源にアクセスでき、医療が保障され、暴力から遠ざけられた環境に生きたからだ。“自分だけの努力”なんて存在しない。

自己責任論は、自分が社会に支えられている事実から目を背け、弱者を黙らせる口実として機能する。
そんな考えが蔓延した社会は、やがて誰も支え合わなくなる。結果、真っ先に苦しむのは「普通の人」だ


財政学が教える、再分配の意義

所得再分配政策は、社会の安定装置だ。
それを怠れば、貧困は固定化し、治安は悪化し、納税者の数も減り、結局、国全体が沈む

「社会のせいにするな」って?
じゃあ、社会は何してんだ?政府は、再分配によって公平なスタートラインを提供する義務がある。
それを放棄しておいて「自己責任」と言うのは、政治の怠慢であり、知的な破綻だ。


まとめ:黙って切り捨てるな。考えろ。

「自己責任論」に騙されるな。
社会を変える意志と、支える制度がなければ、未来は地獄だ。


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